著者 紹介

大熊 裕哉

新潟県新潟市

おおくま鍼灸マッサージ治療院

URL

http://okumachiryouin.com

 

鍼灸説約   石坂宗哲著

鍼灸説約 序

 

当今、医家に弊あり。こうして尋常の時に医を興さない為、究め医は経を攻める。該、群籍を見て、自ら以て為して能事畢る( 自分のなすべきことをすべてやり尽くす)とする。病者にその臨み及ぶなり。識見を定めず膽力(度胸)壮んならず。向の腹笥(腹の中に本箱があるかのような博学)を貯める所の者。午、糅(加える)その霊台の傍ら雜(混ぜる)においてそれが累と為す。その技量却りて時に医に劣とる。俚諺曰く学医は時に医如さずそれの謂うなり。それ医者の方技なり。思慮精則ちそれを得る。粗はそれを失う。扁鵲倉公がまだ嘗めて万巻の書を読まず。してその名を当世において高き者は、どこにいる。どうしてその思慮その精かつ密を以て、それを得るに非ずを呼ぶのか。然るに昧者(愚か者)の躁心浮気を以てこれ得ることを欲す。この一の弊なり。心師説創、一家の言う為、託し古方に依り以て、その名を炫かる。その長ける所、特に攻下(排便を促す)一途にあるのみ。その未だ学ぶに至る。その師、著作一二局挟む。抗顔(おごり高ぶった顔)医となえる。視前脩を蔑む。芥人命を草。それ二の弊なり。識と膽興す兼ねて有り。粗く自ら精入る。愽く収め約める為、よく古人の書を読んで、古人の欺きを受ける者。其れ庶幾かな。針科侍医の石坂宗哲が鍼灸説約を著す。なんぞこれに有り観る。古今針灸書、何啻(…ではない)五車(五台の車に積むほどの多くの書物)。然れどもそれ簡明である。約して要者。有無のみ。世の謂う所、針医なる者、泥紙状の談と拘る。則ち一知半解出ることあたわず。自ら許して一家言うを為す。則ち前人の苦心を知ることあたわず。その弊、大方は脈が猶(ためらう)。然れども、宗哲は鍼科の家に生まれ、これこの如し傷る。憤発し書を読んだ。なんぞここにおいて二十年も古今鍼灸の書に就く。その的確な法者を択ぶ。その迂回無用の者は去り、問い附るに独得の見を以て、作りこの編を著す。以て世の憒憒を醒んとまさに、これ鍼科中、雋杰(優るの意)と謂うことができるなり。刻成るに及び、序をおいて余にまで余既に宗哲ここに挙がりおいて常に俦絶え嘉い。また交誼の厚い為してに、その請を辞すること能ずなり。宗哲名文和。一字延玉。自ら竿を齋し號する時。

 

鍼灸説約 序

 

経曰く、節の交じる三百六十五会す。神気の遊行出入する所なり。皮肉筋骨に非ずなり。又曰く、気穴三百六十五孔穴に名が有り、古しかな。其の名義解くべし。また解くべからず。予嘗(かつて)謂った。区(分けること)により孔穴を区(分けた)、論じて分寸細かいもの、泥む(心とらわれる)かな。人身の一経絡に老糸瓜(へちま)なお日てして取らずものはまた非ずなり。蓋し経絡伝え失う。針法講ず久しかな。豈(どうして)古人は無識や。そもそも古経を講ずなり。難経、災をおいて、前に為して、儒流禍をおいて後に為して、湮晦(滅び無くなる意)殆ど尽くす。人は流れに遡ることができる。源を尋ねて知る。源に従い、流れに及び知らずなり。それ営気内より出る。衛気外より入る。古経詳しくそれ論ずる。この経に彼伝え若しくは、彼またこれ伝えるもの。全く後人の虚設なり。孔穴をもって十二経附き至るもの。予め視ることを兒戯(こどもの遊び)なすなり。

曩(さき)に寛政丙辰の冬、台命(将軍や皇族の命令)奉る。諭し甲州、教え治を乞う者は門を踵ぎ、生徒は堂は満ちていた。一時、口説くところ、土橋甫輔、川俣文哲が筆受したその書成すこと、もって面命口授の労に代わり、童家の初訓と為す。今もってそれを眎(見)、丙火投ること非ず。則ちまさに腐医に近いもの。門人、甲州に従い覆す。懇に上木(書物を印刷するため版木)求める。もって伝え写す労を省くまさに曰く、寒い郷は書が乏しい。それ以て拱璧(かかえる程大きな玉)に当てはまる。予笑いて曰く。梨、棗(ナツメ)に神有り𡨚(うらみ)訴え当に、又その遺漏の多くは憾(うらみ)み。則ち巻く後において、独得これ見て、十二條書す。もってこれ贈る。後の君子あるいはこれに因る、その深く悟ることができる。この書、孔穴、経附くものを知る、そのもって兒戯と為すところ、挨穴(経穴の意)これ用い供える、楷(カイノキ)で作り、梯(はしご)を作り使った。某某 (なにがしくれがし)をして弁易く耳(のみ)それ精神、営衛を説く。則ち自らをもって為し内経の奥へ撥すと稿脱せず。

 

侍医鍼灸竽齋 石坂宗哲 譔

 

鍼灸説約 石坂竽齋先生 著

 

骨度 (霊枢より)

頭の大骨の囲、二尺六寸(前は眉骨と際し、後ろは枕骨と際す)胸囲四尺五寸(平らに乳頭上を周り匝す)腰囲四尺二寸(平らに臍を周り匝す)

髪の覆うところのから頭の頂きに至り一尺二寸(前髮際は額頭に為す。後髮は項を為す。前髪際不明者は眉心を上行三寸を取る。後髪際不明者は大椎上行三寸を取る)

結喉(のどぼとけ)以下、盆中に至る長さ四寸(天突穴を取り至る)欠盆以下、𩩲骬(かつう。胸骨先端)に至る長さ九寸(𩩲骬は一名鳩尾骨とも呼ぶ。或いは𩩲骬が無くは岐骨間に至る八寸に為し別に一寸加える)𩩲骬以下、神闕に至る長さ八寸。神闕以下横骨に至る長さ六寸半(曲骨穴に至り取る)横骨横に長きして六寸半。横骨上廉(上際)以下、内輔上廉(大腿骨内側上顆)に至る長さ一尺八寸。内輔上廉、下廉(脛骨内側上顆)に至り三寸半(輔骨として下隅へ)、内輔下廉、内踝に至る長さ一尺三寸(踝骨中央へ)、内踝から地に至る長さ三寸。(髪以下此の至り七尺五寸、仰人縦度に為す)膝膕以下付属に至て長さ一尺六寸(足後外側踝近いもの付属曰く)付属以下、地至る長さ三寸。

角より以下、柱骨に至り長さ一尺(以下側人の縦度をいうなり。角とは耳の上高くの骨なり。柱骨。一名に伏骨。肩の上頚項の根なり。角以下、肩中兪に至りてそれを取る)

腋中を行って見ざるもの長さ四寸。腋以下、季脇に至って長さ一尺二寸(腋中横紋より季脇の端に至る)季脇の下、髀枢(大転子)に至る長さ六寸(髀枢とは環跳穴)

按ずるにこの言う六寸は恐らくは誤り有る。蓋し章門は季脇の下にいる。居髎は章門の下八寸三分。環跳は居髎の下一寸。合して九寸三分を得る。居髎、環跳の穴を挨するもの。

中指同身寸を用いると宜しい。同身寸の法は手の中指第二節、第三節の内横紋の両頭を相去るを計り、一寸と為す。

髀枢以下、膝中に至り一尺九寸(膕中横紋外尖)膝以下、外踝に至る長さ一尺六寸。外踝下、京骨に至る長さ三寸。京骨下、地に至り一寸。

両乳の間、九寸半(乳頭上に従い、乳頭上に至る)、足掌の長さ一尺二寸。広さ四寸半。

肩から肘に至る長さ一尺七寸(肩端から肘中に至る)

按ずるにこの言う一尺七寸。恐らく誤り有る。今、中止同身寸を用いると、肘から腕に至ると一尺二寸半。

腕から中指本節に至ると四寸。本節末至り四寸半。

項髮以下から、背骨(大椎穴)に至ると三寸。背骨以下、尾てい骨に至る長さ三尺。

按ずるに脊呂(脊柱)三尺というのは諸註家の紛れる如きとした訴え集る。概ね米を数え、髪を数えるの類にして無用の談のみ。今脊呂の穴を挨するに縦寸を用いざるは、その無用にして于實に害あるをなり。

又按ずるに骨度は篇文非ず骨を度るなり。古の篇は既に逸れ後人に以て身度身寸補のものなり。