著者 紹介

大熊 裕哉

新潟県新潟市

おおくま鍼灸マッサージ治療院

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五臓 - 腎 -

生理のまとめ

 

「素問 上古天真論」

帝曰く、人年老いて子なき者は、材力尽きたるか、はたまた天数然るか。岐白曰く、女子は七歳にして腎気盛し、歯更り髪長ず。二七にして天癸至り、任脈通じ、太衝の脈盛し、月事を以って下る。

故に子あり。三七にして腎気平均す。故に真牙生じて長極まる。四七にして筋骨堅く、髪の長極まり、身体盛壮なり。五七にして陽明の脈衰え、面初めて焦れ、髪初めて堕つ。六七にして三陽の脈上に衰え、面皆焦れ、髪初めて白し。七七にして任脈虚し、太衝の脈衰少し、天癸渇き、地道通ぜず。故に形壊えて子なきなり。

丈夫は八歳にして腎気実子し、髪長じ歯更る。二八にして腎気盛し、天癸至り、精氣溢写し、陰陽和す。故に能く子あり。三八にして腎気平均し、筋骨勁強たり。故に真牙生じて長極まる。四八にして筋骨隆盛にして、肌肉満壮たり。五八にして腎気衰え、髪堕ち歯槁る。六八にして陽気上に衰渇し、面焦れ、髮鬢頒白たり。七八にして肝気衰え、筋動くこと能わず。天癸渇き、精少なく、腎臓衰え、形態皆極まれり。八八にして則ち歯髪去る。腎は水を主り、五蔵六腑の精を受けてこれを蔵す。故に五蔵盛んなれば、乃ち能く写す。今五蔵皆衰え、筋骨解墮し、天癸尽きたり。故に髮鬢白く、身体重く、行歩正しかずして、子なきのみ。

 

腎は水を主り、五藏六府の精を受けてこれを蔵す」 

 水とは津液のこと。この上文での精も津液のことと考える。五蔵六腑から送られていた水分を腎が蔵しているため、腎は水臓とも呼ばれる。

 

五味の入る所~鹹(塩辛い)は腎に入る「素問 宣明五気篇」

 

腎の声は呻、色は黒、臭いは腐、味は鹹、精と志を蔵す

「難経34難」

腎虚になると怖がりやすく、呻き声を出す。津液が不足し熱が多くなると色黒になる。また熱により津液が腐り、腐れ臭くなる。鹹味は水が多くなると排泄する作用がある。

 

「臓腑経絡詳解 岡本一抱子」

 

腎脉は両尺に伺う。ただし左尺は腎。右尺は腎命門の部なり。腎脉は沈濡にして滑の平脈に曰く。浮大にして緩なる者は土邪、腎水を剋すは難癒え。脈の来ること縄を奪うが如く、石を弾くが如き者は腎の死脈なり。

腎は水に属す。水の色は黒し。水有り余すことは則ち溢れて浮かぶ。虚すること則ち乾きて沈む。故に丹渓の曰く、黒きもの腎気を足らずそれを以って、腎水有り余すことは則ちその顔色黒し。

然るにこの人、腎気虚弱なるもの多くはその色黒し。いかんとなれば、五臓生成篇曰く、黒き炭の如くのもの死す。黒きカラスの羽の如く者は生きると云う。凡そ五臓の五色は定まりて変わらずと思う。その一色の内において善悪を察す。肺は善悪みな白、心は善悪みな赤、脾は善悪みな黄、肝は善悪みな青し。腎は善悪みな黒し。黒中に自然に虚実の候いあり。水は本ろ北方の坎(易の八卦(はっけ)の一。水にかたどり、方位では北に配する)、坎中の陽。

水面に浮かんで水性は必ず明澤なり。故に腎気実する者は顔面黒くしてかつ、もっぱら光沢を帯びてカラスの羽の如く重漆器の如く、これ丹渓の所謂る。腎気の足りぬ者なり。もし腎水虚してかえりて黒が者は光沢なくして炭の如く、地の色の如くして沈黒なり。これ直は水虚疲し、水濁溢れてかえってこの如し。黒色必ず定て腎実のみとならず云う。

腎水は肺金に養われ。肝木を生じ、脾土に剋されし、心火を剋す。陰陽応象大論に曰く、壮火は気を食す。又云う壮火は気を散ずと云う。腎水一度虚すことは則ち相火盛んに起きて元氣を搏ち肺金を剋し肝木脾土に乗じて五臓みな傷って生(精?)従い失う。故によく生(精?)を養う者は水を愛して相火妄動の害を防ぐ。古人の所謂る我がその生じる所ひるがえて我が賊になること実なるかなこの言。腎は精を集め、志を蔵し骨髓を栄んし冬に旺す。北方に位し、竅を二陰に開く(大小便の病はみな腎膀胱を主るとするなり)後ろに有っては腰脊。前に有っては小腹を主る。(骨の会いする所を関節とす。関節は腎の液を注ぐ所。腰は一身の大関節。かつ十四椎に近し。故に腰は腎気の大いに注ぐ所。臍下小腹は下焦腎気の居る所なり)鹹味腐臭いは腎に出入りし、燥熱寒を憎んで温清を好む。七情五声五音に有っては恐呻羽を主るなり。

或いは問う。燥は水澤の憎む所。熱する時は燥用いて水性それを憎む当てに、今六化を以ってそれを云う。水は太陽の寒とす。かつ冬は水旺し寒気上がる。水と寒興憎むことなし。いかんしてそれを憎みと呼ぶ。然り三十六難に曰く、腎の両の者はみな腎に非ず。左なる者を腎となし、右なる者を命門となす。命門は水中の陽とす。寒は陽気の大いに憎む所。かつ陰水と寒興その気に差はないといえども寒旺すること則ち坎中の陽気煩すことなし。水凝りて留蓄す。故に両腎みな寒を憎んで八味丸の腎を補う所以ってなり。

 

腎臓象

四十二難に曰く、腎に両枚ある。重さ一斤一両。志を蔵すを主ると云う。韻會曰く、牧箇なり。三十六難曰く、臓各一つ有るが腎は独りふたつ有る。腎の蔵象たる形は空豆に似た。二つ有りて左右に相並ぶ。脊の十四椎の両傍に付着し、その色黒くして臓中常に精と志興を蔵す。それ精の身に在る。五蔵にみなそれを蔵す。然れども腎の精は先天より具わる。四臓の精は後天水穀の津液に生ず。凡そ人の生ずる、父母の両精、母の子宮に妙合して胎包資て始まる。その精即ちその子の腎精と成りて先ず両腎生ず。精中自ら神を具わる。神は臆を中心に臓す。五蔵の生ずるや。腎心まず生した諸臓諸腑従って生ず。それ天、一水を生じ、二火を生ずるの理。人身自然の妙なり。それを万物に候うに草木の子実就未の時、その味まず淡きは水なり。淡きは必ず苦し。苦きは火なり。万物の始め水に生じ。水に寄りて火に成るの所以この如し。故に人の五蔵はまず腎心精神より生じ。形は頭脳より生ず。脛脉篇曰く、人始めに生ずる。先ず精成る。精成るそして脳髄生ずるとはこれそれを謂うなり。

腎の病証

 

「素問 蔵気法時論篇」

腎の病は腹が大きくなり脛が腫れる。ぜりつきや咳が出て、からだ重く、寝汗が出て風にあたるとこと嫌う。虚するときは胸の中が痛み、上腹部も下腹部も皆痛む。手足が冷えて楽しい気分になれない。

 

「霊枢 経脈篇」

外邪が本経を侵犯して生ずる病証は、飢えているのに食欲がなく、顔色が黒くて光沢がない、欬唾すると血が混じり、ぜいぜいとした呼吸となり、座っていて急に立つと目に見えるものが曖昧としてはっきりしなくなり、心に気懸りがあって飢えているように見える。気が不足すると恐懼し、心中びくびくする。これを骨厥という。

腎臓によって生ずる病変は、口が熱し、舌が渇き、咽部が腫れ、気が上逆して喉が乾いて痛む。心中が煩悶して痛み、黄疸し、下痢し、脊椎や大腿内側の後縁が痛み、足が萎えて厥冷し、よく眠くなり、足心が熱して痛む。

(中略)

足の少陰腎経の気絶すること則ち骨枯れる。少陰なる者は、冬の脈なり。伏行して骨髓を潤す者なり。故に骨潤わざれば、則ち肉に着くこと能わずなり。骨肉相い親すなざれば、則ち肉軟らかく縮む、肉軟らかく縮む、故に歯長じて垢づき、髪に潤いなし。髪に潤いなき者は、骨先ず死す。戊(つちのえ)に驚く己(つちのと)に死す。土は水に勝てばなり。


「難経十六難」

腎脈を得れば、その外証は面黒く、しばしば恐れ、欠す。その内証は臍下に動悸あり、これを按ず牢く若しくは痛む。その病、逆気し、少腹急痛し、泄すること下重のごとく、足脛冷えて逆す。これ有るは腎なり、これ無きは非なり。

足少陰腎経 流注

 

「霊枢 経脉編」

足少陰の脈は、小指の下に起こり、斜めに足心(湧泉)に走り、然谷の下に出で内踝の後ろ(太谿、大鍾)を循り、別れて跟中(照海、水泉)に入る。ここから上行してふくらはぎの内側を経て、膕窩の内側に出る。再び大腿の内側の後緑に沿って、脊柱を貫き、腎臓に連属し、本蔵と表裏の膀胱と連絡する。直行している経脈は、腎より上行して肝に至り、横隔膜を通過して、肺に入り、喉に沿って舌根を挟む。その支脈は、肺より出て心に連絡し、胸中に注いで、手の厥陰経と相接する。