著者 紹介

大熊 裕哉

新潟県新潟市

おおくま鍼灸マッサージ治療院

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五蔵 - 心 -

生理のまとめ

 

・心は神を蔵す 「素問 調経論」

神とは生命活動の全てを主る精気のこと。狭義では精神活動とも捉われる。心に虚なしとも言われ心の虚=死ということになる。

 

・心は陽中の陽 「素問 金匱真言論編」

蔵の中で陰陽分けると陽の中の陽とされ、陽気が多いことを示す。

 

・心は血脈の気を蔵するなり 「素問 平人気象論篇」

心気は経脈、血脈を通じて気血を全身に巡らせる。

 

・心は血、血は栄を為す 「難経32難」

金匱真言論の陽気は営気をいい、営気は血脈中で血を循環させる。

32難では心肺はなぜ上に位置するかという問いである、心は血を肺は気を主り、上文に血は營となし、気は衛となすとあり、上焦の働きにより営衛を巡らせる働きをさす。

 

・心の声は言、色は赤、臭いは焦、味は苦、神を蔵す

「難経34難」

心熱が増すと多言となり、体臭は焦げ臭くなる。舌や顏が赤くなる。苦味は少陰経に作用し心熱を冷ます。

 

「臓腑経絡詳解 岡本一抱子」


心は左寸に伺う。その脈微洪にしてかつ潤沢有り。琅玕(ろうかん:青碧色の半透明の硬玉)循る如し者は心平なり。偏に洪にして潤沢薄き者は心病なり。左寸沈なるものは腎邪求めて心を剋す治難。

心は南方の火、肝木に養われし、脾土を生じ、肺金を剋し、腎水に剋せらる。四時に在っては夏に旺す。体に在っては血を生ず心は南方の火。既ち離卦(八卦の一つ)の位、離中の一、陰血を生ず。故に血色は赤に。赤きは火の色、これを以って人の顔色それは赤きこと鶏冠の如き者あるいは縞(かとり:白い生絹)を以って硃をつむか如き者は皆胃の気を兼ねる。赤きこと胚血(瘀血、赤紫色で黒く光沢なし)如きは胃の気と元陽の化を受けれず心の死色治すことできず。心は竅を舌に開く。舌は竅に非るに似たりといえども舌に注ぐ腠理の微穴有り。飲食の五味これの腠理に達した味を知る即ち心の竅なり。かつ舌の赤くした動く様は火の象なり。

 

霊蘭秘典論曰く、心は君主の官。神明出づ為すこと。心は一身の主。五臓六腑、四肢、百骸これが命に従って用を成す。故に君主とす君主となる所似の者は心は神を舎す蔵なればなり。神とは何ぞや。天地は陰陽を以って万物を造化す陰陽動静往来の機、何者のなす所ぞや。神に従ってそれをなすなり。

天元紀大論曰く陰陽は神明の集まりなり。また曰く陰陽不測これを神という。神は陰ならず陽ならず。陰陽の間に集まり会し。名を以って尋ねることなく、気を以っても見ること出来ず。天地陰陽自然の妙気。万物の本元。造化生殺の根。人身においては心に蔵するなり。近く人を以ってこれを云う。人の生ずる男女交会した一滴の精。母の子宮に納まるに生ず。その精の泄れるや。父母の感情心に動した、その気、下焦腎陰に及ぶ。則ち下も動した精泄れる。然る則ちその精泄感が心に生ず。心の感は神の感なり。神感したその気に下に及びて精泄れる則ちその精中を自ら感ずる所の神気舎れり。なお例えて曰く月の光明、川沢に移ると同じ父母感神の両精合した神気はよく集まる。この神即ちこの身具足の時に至りては。その人の膻中心官に臓。万事の主宰となる。神全きことは則ち身全きし

。神乏しきことは身亡ぶ。謹まんことできず。故に本神篇曰く両精相うつ神とこれをいう。決気篇曰く、両神相うち合うそれ形を成すと云う。或いは問いて曰く、神は天地に始まり父母に受かる人身の根元じつに君主たりその全て体具足の後や何に由てかその気を養うや。

答えて曰く、八正神明論曰く血気は人の神と云う。神の生ずる有り形の始め。先天より有るところの者にして、既に身体具足の後に気血の陰陽水穀の精微、皆それを助け神を成すなり。故に平人絶穀篇に曰く神は水穀のそれ精気なり云う。それを以って神を養う者は血気を和し中焦を調べ陰陽が平かなればその神を自安しなり。

神の心に在るや。心の血を以って舎すとす。

凡そ無形は有形に従う。神は無形の気。心中に保つ所の血中に舎る。なお魚の水中に遊ぶと同じ。故に心血不足することは則ち神氣安まず。以って動悸怔忡をなす。これにまた魚の水無しして跳ぶの理なり。或いはまた問いて曰く、心は君主の官たること照然たり。ところいう神明出づなりとは何ぞや。答えて曰く、神は天地の造化の本元陰陽の精粋。天に属さず地に属さず。陰ならず陽ならずといえど。その性質は陽に位す。いかにもとなれば神は気なり。気は陽とす。故に神の舎、宇宙に在りては天にあらわれる。人に在っては上焦陽分に舎る。正氣通天論に曰く、陽気(神を指す者)は、天と日のごとしと云う。日や陽や、明を以って徳とす人の眼耳鼻舌志意識の明用、みなこの神氣の化に出る者なり。それを以って神明出と云う。一身の主。生命の本根たりそれを以って諸邪の心を犯す者は心の外廊その包絡に感ず。もし本心を傷ること有る則ち正氣即ち損して必ず死す。真心痛の由みなこの理なり。

邪客篇曰く、心は五臓六腑のそれ大主なり。精神の舎る所なり。その蔵、堅固で邪を入れずに払いさる。それに入れることは則ち心傷る。心傷ることは則ち神去る。神去ることは則ち死す。故に諸邪が心に在る者。皆、心の包絡に在り、包絡は心の主のそれ脈なりと云う。苦味焦臭は心に出入りし。寒熱を悪して温を好む。七情五声五音にあっては喜、笑、微を主るなり。

あるいは問いて曰く、心は南方の離火。火の化は熱なり。師はなぜ熱を嫌って温を好むと云うや。然り、火の化を熱とするものは君相二火を全て云う。それ五経の道。土金水は陰なり。木火は陽なり。陽少して陰多し。陰多きこと則ち殺気勝ちて生気不足す天池の仁気見ることできず。故に火において君火、相火在りて。陰陽対となる。君火は明を以って、相火は位を以つとす。即ち素問天元紀大論の言うと、唐の王冰。宋の陳無択。元の朱丹渓。明の李時珍。張介賓等の諸説あり。然れども丹渓ひとりその理に通じて。張氏は重ねてその道を明かす陽の上にある者を君火とす。即ち火の気なり。陽の下にある者を相火とす即ち火の質なり。上になる者は離に応ず。陽気外に明らかなり。下になる者は坎(かん:八卦の一つ。真ん中だけが陽爻のもの)中の陽に応ず。外暗くして陽内に位す。凡そ天地人身の功用は神明にして已む。神は則ち明。明は神なり。この神明は君火を言うなり。

天はそれを得て日月を以って万方を照らす。人はこの気を膻中に得て万理を明かす。これ即ち君火は明を以ってするの義なり。相火は下に位して万物を化熟し、人はこの性質を下焦に蔵して周身を養うこれを人間の日用の火を以って例え言う。明は気出ず。位は邪に出ず。一寸の燈光満室に明なるは君火なり。炉に盛る炭火に熱有りて光り無きは相火の質なり。

 

心の病証 「素問 蔵気法時論篇」

 

心の病は胸が痛み、脇支が苦しく、脇下が痛む。胸、背中、肩甲間部が痛み、両腕の内側が痛む。虚すると時は、胸と腹と脇下と腰がいっしょに痛む。

 

 ・神去れば死す「霊枢 邪客」

条文より

少陰は心脈なり。心なる者は、五藏六府の大主なり、精神の宿る所なり。その蔵堅固にして、邪容る能わずなり。これに容れば則ち心傷れ、心傷るれば則ち神去り、神去れば則ち死す。

 

 「難経十六難」

心脈を得れば、その外証は面赤く、口乾き、しばしば笑う。その内証は臍上に動悸あり、これを按ずれば牢くして若しくは痛む。その病は煩心、心痛し、掌中熱して啘す(からえずき)。これ有るは心なり、これ無きは非なり。

 

手少陰心経 流注

 

「霊枢 経脉篇」

 

心、手の少陰の脈は、心中に起こり、出でて心系に属し、膈を下りて小腸を絡う。

その支は、心系より上りて咽を挟み、目系に繋がる。

その直なるものは、また心系より却きて肺に上り、下りて腋下(極泉)に出で、さらに下りて臑内の後廉(青霊)を循り、太陰(肺経)と心主(心包経)の後を行き、肘内(少海)を下り、臂内の後廉(霊道、通利、陰郄)を循り、掌後の鋭骨の端(神門)に抵り、掌内の後廉(少府)に入り、小指の内を循り、その端(少衝)に出づ。