著者 紹介

大熊 裕哉

新潟県新潟市

おおくま鍼灸マッサージ治療院

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http://okumachiryouin.com

 

五臓 -脾ー

生理のまとめ

 

脾気、精を散じ、上りて肺に帰す「素問 経脉別論篇」

脾は胃腸で生成された気を肺に送くり全身を栄養する。

また血は心の血脈に送り全身を循る。肝へも血を供給する働きもある。

 

脾は意を蔵す「素問 宣明五気篇」

 脾は営を蔵す。営は意を宿す「霊枢 本神篇」

脾は営気を多く蔵し陰性と考える。熱を持たず適度に湿を保つため乾燥を嫌う。意は思慮(考える)のことを言い、何かを作り出す意思を示す。脾は気血生成を自ら行わず胃腸で生成する働きがある。この生成過程に意が関与している。また胃の熱が多くならないように火力の調整も脾の営気が働く。

 

・脾の声は歌、色は黄、臭いは香、味は甘、意を蔵す

「難経34難」

胃熱が多いと歌いたくなる。脾虚熱証時は体が黄色くなる。胃熱が多いと香ばしい臭いがする。甘味は脾の働きを助け気血津液の生成を促す。

 

・脾は血を裹むことを主り、五臓を温める「難経四十二難」

脾の精気は血をつつみ外へ漏れないように防ぐ、五臓を温める。

中医でいう統血作用である。脾は気血津液を作るため、経脉を介して五臓、六腑へと気血を送る。つまり温めるのは血でなく営気衛気も含んでのこと。

 

・竅は口に開く「素問 金匱真元論編」

・脾は身の肌肉を主る「素問 痿論編」

 

「臓腑経絡詳解 岡本一抱子」

 

脾臓所属の提網

脾は右関に候い和緩柔軟にして太過不及の偏なく浮沈強弱その所を得得る者は脾平なり。然るとも脾の平脉ひとり見ることできず。如何にしとなれば脾は中列土に属す。土はその気を四季に寄す。

例えば三月の土用の如き、その気春夏の間に位して前後、春夏の気に従いひとり時を立たず。立たずといえども、この土に非ず四時和せず。万物生せず。故に人身は脾土中央に位し四蔵を養う。四蔵みな脾気の養いを受く。それを以って脾気平すること則ち四蔵自ら平なり。然ること則ち脾の平脉は四蔵の平脉の間に寄せ見られる。太追えば春は物生じその気温和なり。夏は物の長じその令熱して、人と春夏の令たることを現れども、三月の土用にその土用の令たることを分かち現れること無し。ただ前後春夏の令中に有るのみ。人身脾土の平脈もまたこの如し。四臓の平脉は即ち脾土の平脉なり。脾の平脉ひとり現れること能わずなり。

至機眞藏論に曰く帝曰く然ること則ち脾の善悪得て見る可かな。岐白曰く善なる者の見ること得ることできず。悪なる者は見れる。と云う。 脈求めるころ実にして盛数。ニワトリの足をあげた如きは、軽く緩からず姿を云う。

脾の病脈に曰く、求めるに鋭く堅からず柔らかして如く鳥の口ばし如く。鳥の距(けづめ)の如く。屋の漏れる如く倫次無く。水の流れる如く。去り反らず、それ皆、脾の絶死脈なり。

 

脾は心肺の下、肝腎の上。中央に位して土に属す。土はその気を四隅に寄す。故に脾土は四肢を主る。四肢倦怠は脾病なり。脾病して顔色が枳実(ダイダイまたはナツミカンの未熟な果実を乾燥した生薬)の如く者は死す。思うに黄黒にして潤沢無し。黄なること薄き布に雄黄(ヒ素の硫化鉱物)を包むか如く者。蟹腹の如くなる者は脾平なり。蟹腹は黄赤にして光沢なり雄黄は黄にして少し赤い。かつ光沢あり。これを薄き布を以って包むか如きは偏えに現れず。胃の気有りてそれを兼ねる。また黄土の如くにして光沢赤色無きとも脾病なり。その赤色光沢は元陽胃の気の化を兼ねる。故にそれ無き者は死す治せず。

脾土は心火に養われ。肺金を生じ、水を剋し、肝木に剋される。脾気の不足はその本、心火に有り。火の源は命門たり。それを以って下焦命門の火。土を養えず、邪水脾土を侮り、肌肉に注ぎ浮腫の症現れる。

なた水熱穴論に曰く、腎は胃の関なりと。胃は水穀を受ける。脾はそれを化す。水穀消化の糟粕は小腸に下り穀は大腸に入り後で陰に出る。水は膀胱に滲んで前陰に去る。二陰は腎の主る所。腎病むことは則ち二陰和せず。二陰和せざることは則ち大小便不調にして脾胃がそれがために病むことを得る。故に昔の人の所言うには腎を補んよりは脾を補すには如かず。また脾を補しんよりは腎の補しんは如かず。これ皆脾腎の両臓その虚実互いに及びて相離さず。病因の根元。地方の大源を尽せる。

 

脾は血を総(すべ)。意を蔵し。肌肉を主り。四季土用に旺し、四隅に寄せ。竅を口に開き唇に伺う。唇は肌肉の本。脾熱して唇乾渇。脾寒して唇青し。甘味香臭は脾に出入し、太過不及寒熱の偏気を嫌う。温暖を好む。温なることは則ち脾能く水穀を運化して臓腑を整え、営衛を和す。七情五声五音に有りては、思・歌・官を主り。その液は涎なり。或いは問いて曰く、脾胃は水穀消化の地なり。寒は陰、熱は陽なり。これを物に試みるに火熱を得れば物能く熟す。然ることは則ち脾胃は温熱ともに好むすべし。如何して熱を憎みてひとり温のみを好む。答えて曰く脾胃は中央中和の気。偏勝を憎む寒熱は偏気なり。反りて中気を損して穀を消すこと能ず。

張仲景曰く、邪熱穀を殺さず。殺さずとは消せず云うなり。万物火を以ってそれを熟す鍋底の火炎急烈なること則ち物反り熟すこと能ず。火気よろしき所を得て物の能り熟す。中焦脾胃の気この如し。温暖そのよろしき所を得しは、水穀消化して四蔵を養う。熱火中焦に客することは則ち中気疾速にして消する能ず或いはこれを研磨に例えるに静かに磨すしは、能く細末と為する。磨すること急疾なれば細末となること能ず者もまたこの理に同じ。

脾の病証

 

「素問 蔵気法時論篇」

脾の病はからだが重く、肌肉の栄養が悪く、足に力が入らず、歩くとよく痙攣を起こし、下肢の下部が痛む。虚するときは、腹が張り、腸が鳴り、ひどい下痢する。

 

「素問 太陰陽明論篇」

いま脾病めば、胃のためにその津液を行からす能わず。四肢も水穀の気を稟くるを得ず。

 

「難経十六難」

脾脈を得れば、その外証は面黄にしてよく噫し、よく思い、よく味あう。その内証は、臍にありて動悸あり、これを按ずえば牢くして若しくは痛む。その病は腹脹満し、食消せず、体重節痛し、怠墜嗜臥し、四肢収まらず、これ有るは脾なり、これ無きは非なり。

足太陰脾経 流注

 

「霊枢 経脉篇」 

 

足の太陰の脈は大指の端(隠白)に起こり、指の内側の白肉際(大都)を循り、核骨の後ろ(太白、公孫)を過ぎり、内踝の前廉(商丘)に上り、腨骨(三陰交)に上り、脛骨の後ろ(漏谷、地機、陰陵泉)を循り、厥陰の前に交わり出で、膝股の内前廉(血海、箕門)に上り、腹に入りて(衝門、府舎、腹哀、大横)脾に属し胃を絡う。膈に上り(腹哀から胆経の日月、肝経の期門を経て本経の食竇、天谿、胸郷、周栄、大包に至り肺経の中府へ)、咽を挟み、舌本に連なり、舌下に散ず。

その支は、また胃より別れて膈に上り、心中(膻中)に注ぐ。